こんにちは、宜将です。
このブログのプロフィールを読んでくださった方はご存知かもしれませんが、私は10代の頃、本気で「料理人」を目指していました。 厨房の熱気の中でフライパンを振り、包丁で食材を丁寧に切る。そして、お客さんの「美味しい!」という声を聞くのが何よりも好きで、ずっとその道で生きていくつもりだったんです。
ひょんなことから包丁をカメラに持ち替え、写真の世界に入って23年になりますが、今でも料理を作るのは大好きです。大体毎日キッチンに立っていますが、料理をしていると不思議と心がスッと落ち着くんですよね。
そんな風に、長年「料理」と「写真」の両方に触れてきて、最近すごく腑に落ちたことがあります。 それは、「料理と写真は、本質的にまったく同じだ」ということです。
今日は少し視点を変えて、元・料理人志望の写真家が感じる「モノづくりの面白さ」についてお話しさせてください。
1. ゼロから「カタチ」を創り出す面白さ
料理というのは、様々な素材を組み合わせて最高の一品を作り上げるわけです。それはいわば、クリエイティブの一つだと言えます。肉や野菜や魚を、切って、焼いて、煮込んで……お皿の上で一つの「料理」というカタチに創り上げますよね。
実は、写真も全く同じなんです。 目の前にある「光の向き」「場の空気感」「被写体の表情」といった様々な要素(素材)を、ファインダーという四角いお皿の中にどう盛り付けると美味しそうに見えるか。
どちらも、何もないところから「自分の視点を通して、新しいカタチを創り出す」という根本の面白さが共通しています。
2. 同じレシピ(撮影条件)でも、絶対に同じにはならない
ここが一番奥深くて、私が写真にのめり込んだ最大の理由かもしれません。
料理の世界では、よくこんなことが起こります。 「全く同じ産地の食材を使い、同じ料理器具で、同じレシピ通りに作ったのに、なぜか味が違う」 火を止める数秒のタイミング、塩を振る手首のスナップ、さらにはその日の気温や湿度。作り手が変われば、誰一人として「完全に同じ味」にはならないんです。
写真も、これと全く同じ現象が起きます。 たとえば、私ともう一人のカメラマンが、同じ場所に立ち、全く同じ最高級のカメラを使い、同じ設定(レシピ)で目の前の被写体を撮影したとします。
でも面白いことに、絶対に同じ写真は撮れません。
なぜなら、シャッターを切るコンマ数秒のタイミング、レンズを向ける角度、構図、そして何より「被写体との呼吸の合わせ方(コミュニケーション)」が違うからです。 「いいね、その表情!」と声をかける間の取り方一つで、相手の笑顔の温度はガラリと変わります。
カメラの性能がどれだけ進化しても、AIがどれだけ賢くなっても、最後に写真を決定づけるのは「カメラの裏側にいる人間の個性」なんです。 これって、すごく人間臭くて、面白いと思いませんか?
3. 行き着く先は「誰かに喜んでもらうため」
料理人が丹精込めて一皿を作るのは、目の前のお客さんに「美味しい!」と笑顔になってもらうためです。自己満足で作る料理は、どこか味気ないものです。
写真も同じです。 私がシャッターを切るのは、技術を見せびらかすためではありません。 できあがった写真を見て、踊り手さんが、その親御さんやおじいちゃんおばあちゃんが「わぁ……!」と笑顔になってくれたり涙ぐんで喜んでくれたり、舞台の踊り手さんが「あの時の思い出が蘇る」と感動してくれるために撮影しているんです。
包丁を使うか、カメラを使うかの違いだけで、行き着く先は「目の前のあなたに喜んでほしい」というおもてなしの心(愛)なんですよね。
私の写真の「隠し味」
料理には、その人ならではの「隠し味」があります。 私の写真の隠し味は、きっと「カタチ(プリントやアルバム)に残すことへの執着」と、「その場の空気ごと閉じ込める視点」です。
これからも、このブログ「視点とカタチ」を通じて、私にしか作れない写真(料理)を皆さんにお届けしていきたいと思っています。
もし、「大切な記念日を、とびきり美味しい写真で残したいな」と思ったら、ぜひ私に声をかけてくださいね。 腕によりをかけて、極上の一枚を撮影させていただきます!
それでは、また。
宜将(Yoshimasa)
